薬浴中の金魚にエサを与えてよいか?
15年ぶりに金魚を飼い始めた。
飼いはじめて一週間もたたずに白点が出てしまい、塩+ニューグリーンFで治療することにした。
さて、治療中の金魚にエサをやってよいものだろうか?
私は、今までずっとNGだと思っていた。有名サイトがそう言っているからだ。
具体的には『金魚屋の息子』である。かつて私がWeb検索しながら飼育していた15年前からずっと変わらず、金魚の飼育方法について発信している老舗のWEBサイトだ。ここでは塩浴・薬浴しているあいだはエサは与えないのが基本とされている。
このサイトには、このところ激増しているアフィ記事サイト、「まとめてみました!いかがでしたか?」の連中とは一線を画す信頼度がある。文字通り、金魚屋の息子であるサイト管理人が、自分の長年の経験にもとづいて発信しているのだから。
しかし、この老舗サイトとは真っ向から対立するサイトがある。それも観賞魚の薬浴については、おそらく日本一詳しいと言っても過言ではない運営者のサイトが、である。
日本動物薬品、ニチドウの公式サイトだ。「治療中の魚であっても、エサは必ず与えて下さい」とある。実文は下記リンクを参照されたい。私は15年前、この会社のグリーンFリキッドに魚を救われたことがあり、ここの治療薬には信頼を置いている。
さて、薬浴中のエサについてはどちらを信頼すべきか?・・・今回はニチドウを信用したい。個人サイトの筆者にどんなに経験があったとしても、あくまで、それは職人の経験則にとどまる。開発会社としての責任ある発信のほうが、集合知として優れていることに今回はかける。
ニチドウの解説:http://www.jpd-nd.com/n_jpd/faq/faq.html#10
補足:企業のサイトだからエサやり推奨とはかぎらない。キョーリンは薬浴開始して数日はエサをやるなと書いていた。しかしキョーリンは薬の会社ではなく、信頼度としてはニチドウに劣ると判断した。
ゲームとは世界の経験である
ZUNはゲームとは世界観であると述べた※。それは世界設定という意味での「世界観」ではなくゲーム性、音楽、グラフィック、それらすべてを綜合して醸し出される、ゲーム全体としての「世界観」である。
私もこの記述が好きで、ゲームとは世界観であると長く思ってきた。しかし、世界観という言葉はあまりにも多義的に使われすぎている。この単語では伝わらないものが多いのではないかと懸念するようになった。だから、改めてZUNが「世界観」という一語で表現したものを、新たに訳しなおしてみたい。
ゲームとは世界の経験である。プレイヤーは、ゲームで描かれている世界の一員となる。それは主人公としてか、もしくは主人公を常に追い続けるカメラとしてかは問わない。その世界への没入が発生することが重要なのだ。没入し、その世界を経験することに、私は美しさを見出している。
なお、ヴァーチャルリアリティとは違うことに留意されたい。VRにおけるリアルは現実の模倣である。VRにおいては「作画崩壊」が許されていない。VRの中で起きる物理現象が現実に即していないと、VR的没入は起こらない。例を挙げると、グラフィックは網膜の解像度に沿って微細に描くことが求めらて、ドット絵が許容されないことだ。現実世界と、コンピュータが描く世界の境界を少なくすることは、世界を経験する上での必須項目ではない。あくまでプレイヤーの側が没入するのである。
※確か書籍版文花帖だったと思うが、うろ覚えなのでご容赦を。