ゲームとは世界の経験である

 ZUNはゲームとは世界観であると述べた。それは世界設定という意味での「世界観」ではなくゲーム性、音楽、グラフィック、それらすべてを綜合して醸し出される、ゲーム全体としての「世界観」である。

 私もこの記述が好きで、ゲームとは世界観であると長く思ってきた。しかし、世界観という言葉はあまりにも多義的に使われすぎている。この単語では伝わらないものが多いのではないかと懸念するようになった。だから、改めてZUNが「世界観」という一語で表現したものを、新たに訳しなおしてみたい。

 ゲームとは世界の経験である。プレイヤーは、ゲームで描かれている世界の一員となる。それは主人公としてか、もしくは主人公を常に追い続けるカメラとしてかは問わない。その世界への没入が発生することが重要なのだ。没入し、その世界を経験することに、私は美しさを見出している。

 

 なお、ヴァーチャルリアリティとは違うことに留意されたい。VRにおけるリアルは現実の模倣である。VRにおいては「作画崩壊」が許されていない。VRの中で起きる物理現象が現実に即していないと、VR的没入は起こらない。例を挙げると、グラフィックは網膜の解像度に沿って微細に描くことが求めらて、ドット絵が許容されないことだ。現実世界と、コンピュータが描く世界の境界を少なくすることは、世界を経験する上での必須項目ではない。あくまでプレイヤーの側が没入するのである。

※確か書籍版文花帖だったと思うが、うろ覚えなのでご容赦を。